九頭竜堂

サークル「九頭竜堂」のBlogです。 主に仲間内で遊んだTPRG(クトゥルフ・シノビガミ・サタスペ等)の話題や、ニコニコ動画でのリプレイ動画投稿、フリーシナリオの公開情報やコミックマーケットでの頒布物の情報をお知らせしています。

カテゴリ: TRPG考察

 先日から、CoCのシナリオ相談という企画を始めたのですが、よく「面白いストーリーをつくるコツって何ですか?」ということを尋ねられます。こういう疑問は多くの人が考えているようで、本当によく話題に出てきますね。もっとも、これに上手く答えてくれている人がどの程度いるかは難しいところだと思います。シナリオ講座のようなものであっても、当然この部分には触れられることはありません。
 なぜなら、ストーリーの面白さというのは、美意識や感性に強く依る部分だからです。ストーリー講座なんかを聞いたことのある方は、似たようなことからがっかりした経験があるかもしれません。

 しかし、そのストーリーをゲームのためのストーリーとして考えた場合(日本語として妙な言い方ですが、異なるものと考えてください)、ある一定の具体性を提示することはできると考えます。ゲームのためのシナリオはある程度方法論的な部分があります。
 では、それは何なのでしょうか?皆さんならどう考えますか?
 色々と考えは出てくると思いますが、私が考えるものはどれとも違います。
 この前提として、ひとつ述べておくと、ゲームのためのストーリーをストーリーとして読み取ることを一度脱する必要があるんじゃないでしょうか。当然、ゲームのストーリーは小説とは通常異なります。 ゲームは常にPL(TRPGではPLの操るPC)の干渉によって物語に変化が起こり、そして1つの結末を導くという構造になっています。つまり、そこにあるのはPL(PC)と、ゲームとの間のナラティヴな関係です。
 「 あなたがこうした、だからこういう結果が残る」これを耐えず繰り返して結末に至るのがゲームと、少なくとも私は考えています。

 そうした上で考えなければいけないのは、実はゲームのストーリーの面白さは、ストーリーラインではなく、「PL(PC)がこうしたことによってこういう変化があった」、というPLの干渉を前提としたストーリーそれ自体の変動であり、その事実を参加者が認識できたことなのではないでしょうか。
 この考え方を極限まで排斥した場合が、おそらく「吟遊詩人」と呼ばれるKPや吟遊詩人の物語になってしまうのではないでしょうか。
 ゲームは自分たちがいたからこそ面白くなる。「あなたが いたから」という部分を掘り下げてあげるだけで、もしかしたら案外中身の濃密でない物語であっても、参加者は「ぼくらがいた」という認識からそこにゲームとしての物語の面白さを見出してくれるのかもしれません。

どうも、ゆめぎです。
私はロールプレイが上手くありません。
キャラがブレるとか、演技するのがそもそも下手ということもありますが、それ以上に致命的なことがあります。
私が演じるPCって、全部モブキャラみたいなんです。

この前サークルメンバーと「よいPCを作るためには」みたいな話をしました。
よいPC=見てて楽しいPCと捉えてこの話をしてました。深夜1時くらいに。
激論に激論を交わしそこで出た結論は、「個性を打ち出して他キャラとの差別化を図る」というものでした。
ほほう、なるほど!確かにそうだなあ!

そうなんです。私はそれができていないんです。
あ、個性というのも様々あると思うんですが、ここでは「キャラ付けのためのロールプレイ」という定義にしときます。
 
なんで個性を出せないのかは、自分でもなんとなく分かってます。
必要なロールプレイとそうでないロールプレイの境界を自分が分かってないから、個性があるPCを作れないんだと思います。

私はTRPGを「ロールプレイをしながらゲームをつつがなく進行させるゲーム」と考えています。
この「つつがなく」は「ゲーム進行をPL側から妨げることをしないように」と言い換えてもいいです。
 
セッション中に個性を出そうとした場合、それに必要なロールプレイをすることでゲーム進行を遅らせてしまうのではないか?と私は考えてしまうんです。
ゲームクリアだけを目的にした場合、ロールプレイは必要ありません。
しかし、ロールプレイをすることはTRPGの楽しさであり醍醐味です。それをしないならそもそもTRPGをやるなって話になります。
かと言って、ロールプレイばかりしてると、他PLやGMからは迷惑だと思われることもあります。
例えばですが、あまり重要でないシーンを長々とロールプレイしてたりする、とか。
はっきり迷惑だとは言われないかもしれませんが、その場の空気や態度にそういうものは現われてしまうものです。
私も、何度かそういう空気になったところに居合わせたことがあるから分かります。

ゲーム進行に関係ないロールプレイはどこまでが許容されるんでしょうか?
どこまでが、ゲーム進行に支障が出ない範囲で「ロールプレイで個性を出す」ことになるんでしょうか?
その境界が、私には未だに分からないんです。
だから、無難なロールプレイしかしないし、できない。
ゲームを妨げることはないけれど、印象深いPCには成り得ない。
悪乗りをしようかなと思っても、そのロールプレイが誰かの迷惑になるかもと考えたらその気持ちを抑えこんでしまう。
だからモブキャラみたいになってしまうんですよね。

たぶんその境界線は、その場の雰囲気や他PL・GMの反応によって様々に変化します。
そして、その境界線ギリギリを攻めるのが、PCの個性を出しつつゲーム進行を妨げないことに繋がるんだと思います。

今の私は、境界線に近寄ろうともせず、遠くから見てるだけってわけですね。
もっと攻めてみるのが今後の私の課題になりそうです。
その過程でそのラインを超えちゃうかもしれないけど、そん時はそん時です。なんとかなるでしょう。


TRPGは自由度が高いゲームですが、だからと言って好き勝手やっていいというものでもありません。
好き勝手やることが個性を出すことに繋がるなどと履き違えたりせずに遊ぶことが大切です。
なんてったって、TRPGは一人じゃなくてみんなで遊ぶゲームなんですから。
その上でキャラが立ってるPCを作れたら、それはとっても嬉しいなって。

 こんばんは、ひふみいろはです。
 長南が企画を始めたらしいですね。アミバのイラスト描いてください!とか来ないかなあと思っているのですが、 なかなかそういうお便りはこないようですね。悲しいですね。
 そんなしょうもない話はさておき、ちょっとしたお声掛けもいただいて、ある企画を始めることにしました。決して長南に対抗しようとかそういうのじゃないんだからね!
 企画内容は「CoCのシナリオ作成相談」についてです。
 何をするかというととても簡単な 話でして、「CoCのシナリオ作成についてのご相談に乗ります」というものです。ネタ出しや、特にシナリオのゲーム的な整備の面からアドバイスをできたらと思います。
 最近、友人や知り合いのCoCシナリオについて相談などにのっているのですが、そんな中で「もっと外向けにやらないの?」という話をされまして、それで試験的にそういうのをひとつ開いてみようかと思いました。
 当然、シナリオ作成のご相談なので、私はシナリオ作成者さんのお手伝いに過ぎません。そのため、別に私が代筆しますとか、そういう話ではないことだけご了承くださいませ。
 相談の仕方は簡単で、Skypeによるチャットや通話で行います。
 私のTwitterアカウント(@1i2ro3ha)の方に相談の旨を申し出ていただければ、そこで私のSkypeのIDを教えさせていただきます。
 後は、時間の都合が合う時にお話をするという形になると思います。
 気軽にご相談ください!

※試験的な企画なので、続くかどうかは成果や反応次第という感じになりそうです。
 

どもー、サークル員の猫飯です。

TRPGプレイヤーとしてはまだまだ経験が浅く、今までやったことのあるシステムはCoC、シノビガミ、天下繚乱、メタリックガーディアンぐらいでした。
そろそろ自分でも面白そうだなーと思うシステムに手を出してみてもいいかも、と思ったので先日(2ヶ月前)とあるシステムのルルブを購入しました。
DSC_0046[1]
永い後日談のネクロニカです。


最終戦争により終わりを迎えてしまった世界でアンデッドに変えられてしまった少女たちが生前の記憶を取り戻すべく、自分たちをアンデッドにした張本人でもあるネクロマンサーに立ち向かう。
少女たちはネクロマンサーの差し向けたアンデッド、最終戦争の遺物である生物兵器の魔の手を掻い潜り自分を取り戻すことができるのか。
戦闘中にダメージを受けるとパーツを損傷し、使用することができなくなるというメダロットを彷彿とさせるシステムをゾンビの女の子でやるという趣味の悪さがたまりません。


さて、そんなネクロニカですが・・・
 
新しい会社に事業を引き継ぎ再スタートしたものの、あまり状況が芳しくないのか公式が売れ行きによってはネクロニカの後日談が始まってしまう可能性を示唆。

http://incoglab.com/setigarai/

10月末にサプリ第二弾の「歪曲の舞踏」のエラッタが適用された第二版が発売されましたが、2ヶ月後には基本ルールブックとNC用サプリである「箱庭の物語」の方もエラッタが適用されたものが販売されるとのことなので公式を覗いてみて気になった方は是非。







・・・ここまでダラダラ書いておいてシステム面にはほとんど触れられてないですね、すいません。
エアNCを卒業したらシステム面についても書いてみたいと思います。









 この数日、グルメレポーターになったりサークルメンバー紹介したりでTRPGの話題が減っていましたがそれも今日でおしまいだ。CoCの考察についてのお話ですよ!

 実は、この数日間、先日書いた記事、「とあるオフセ・オンセのプレイヤーの反省会」が思わぬ形で多くのCoCプレイヤーの方々に閲覧されており、驚いていました。カウンターが一気に伸びていたので当初は見間違えたのではないかと思って「み、みえない~!」とアミバトキのようなことを言っていました。
 Twitterで記事を読んだ上でのコメントがつぶやかれていたのでそっちの一部も目を通した上で、アドンとサムソンによる反省会のまとめをさせていただきます。
 今回の記事で考えることはとてもシンプル、「反省会で悪かったのはダレか」と「参加者は何を望んでいるか」です。この問いを筆者なりに考えてみました。

 考えるべきことその1:―悪いのはダレ?― 
 
 感想ツイートをみていて気づいたことに、 「サムソンが悪い」というコメントが少なからずありました。
 そういう意見を受けた上でひとつだけ疑問を提起します。それは、「本当にあのセッション反省会でのサムソンは悪かったのか?」ということです。
 サムソンに対してあまり肯定的な意見がなかったことの理由をいくつか筆者なりに考えました。おそらくは、「本人の閲覧者の共感を誘えるような言葉尻ではなかった(本人の自分勝手さが強調されるようにみえていた)」「KPに対して同情的な読み手が多かった」「読み手の大多数とセッションに対する姿勢が合わなかった」といったことが理由ではないかと分析します(間違っているかもしれません)。
 「サムソンがより人から共感されるような言動を取れるようになれば、ある程度の問題は収まるんじゃね?」という疑問はここではおいておくとして…特に注目すべきは「セッションに対する姿勢が合わなかった」という部分です。これが非常に話のキモではないでしょうか。
 周囲と「合わなかった」、つまり、「適合する参加者と一緒であればうまくいっていた」のではないかということに繋がります。
 そもそもの問題は、「ゲームの楽しみ方が違う人間が一緒になってしまったから」だと考えるとしましょう。それならば、悪いのはサムソンではなく、むしろゲームの指針をしっかりと説明し、かつ承認を取らなかったKPの責任ともいえるのではないでしょうか。
 持ち物についても、技能についても、セッション中でのRPとタイムキープも、KPとPLとの位置づけも、すべてはKP、つまり筆者が丁寧にサムソンに対してアプローチをとっていたら問題とならなかったのではないでしょうか。こういう考え方もできるのです。
 しかし、同時に、「そこまでKPに強いるのは酷だ」と考える方もいるでしょう。なぜなら、ただでさえクトゥルフ、特にオンラインセッションにおいてKPの負担は非常に重いからです。遊び方がまったく異なる人間同士を同セッション内においたまま恙無くゲームを終わりまでもっていくのは難しいでしょう。なぜなら、「セッションの臨み方・遊び方がまったく異なる」のですから
 アドンがタイムキープやKPへの配慮を特に大事にしながらゲームを進行していくのに対し、サムソンはRPをひたすらに重視し、かつKPから用意されたレールに乗らずに独特のプレイングでゲームを進行していきたがるのです。この両者の立ち位置は往々にして衝突するでしょうし、反省会で指摘された問題の原因もこの部分の違いに起因しています。
 ところで、遊び方の異なるPL同士の噛みあわない現象について、あるボードゲームとそのオンライン版に似たものがあります。もしかしたら気づいている方もいるのではないでしょうか。そうです、「人狼」こと「汝は人狼なりや」です。人狼ゲームについてご存知ない方は、タイムリーなことに、ゆめぎが「ボードゲーム紹介記事」で当ゲームについての紹介記事を書いていたので御覧ください。
 このゲーム、同じルールのはずなのにオフラインとオンラインでの遊び方が大きく乖離しがちであるという指摘がなされているのです。故に、それぞれのプレイヤーが一同に会した際に、それぞれが思うようにゲームをプレイできないなんていうことが起きたりも…。
 



 このような問題について、人狼ではオフラインとオンラインでの違いを、完全に別の異なるゲームとして扱うというのが多いようです。「オフライン人狼にネット人狼(オンラインで行われる人狼のこと)の流儀を持ってくるのはタブーである」というのが幾つかオフライン人狼のイベントの見学や参加をした上での結論でした。オフライン・オンラインいずれの人狼だけをやっていてもいいし、時には異なる文化圏に入り込っていってそちらの流儀に応じた遊び方をしてみてもいい。ただ、そこには常に、「これとあれは違う」という境界が存在するという前提があります。
 この住み分け理論は、CoCでの問題解決方法のモデルとして考えることができるのではないでしょうか。つまり、異なる部分をKPが丁寧にカバーすることで異文化コミュニケーションを上手に成立させてもいいですし、その違いを前提にそれぞれの文化圏に篭ってしまうというのも立派な方法なのです。
 後者の手段については、意外に思う人もいるかもしれませんが、住み分けを敢えて肯定してしまうのは悪いことではありません。なぜなら、「参加者は単純にセッションを楽しむことを望んでいる」からです
 

 考えるべきことその2:―参加者は何を望んでる?― 
 
 前項の末尾でほぼ答えを出してしまっていますが、ここで次の問いを提起します。それは「参加者が求めているものは何なのか」ということです。
 反省会の最後で、2人はある共通した意見を述べています。それは「楽しかったからいい」ということでした。この言葉は、反省会の終始意見が違ったアドンとサムソンの唯一の共通見解でした。
 ここから導き出される結論は非常にシンプルでしょう。
 わざわざ、予定の調整も、準備も決して楽ではないTRPGをやるのか…。それは、結局のところ「楽しみたいから」なのです。
 ゆえに、セッションが楽しければ全てが肯定されるし、逆に面白くなければ途端に楽しめなくなってしまう。プレイのログを他人が見てどれほど笑ったって、当事者が楽しめなければ、少なくとも本人たちにとってそのセッションには価値は見出せないのです。
 つまり、「楽しい 」を突き詰めてさえいれば、異文化コミュニケーションをしたって、逆に住み分けた中でのみセッションをしていたって許されるのです
 ここでようやく、前項で説明の足らなかった、「住み分けを肯定することはいけないことではない」とした理由がみえてくるかと思います。結局のところ、トラブルなく、いかに気持ちよく遊べたかということをPLは大事にしているに過ぎません。そしてKPの仕事とは、より参加者に楽しんでもらうことである。そう考えれば、一手段として住み分けを肯定して、その中で楽しいセッションをつくっていっても、それはまったくいけないことではありません。
 「どうしたらより楽しくなるか」。その問いを常に理解しておくことが、セッションをより充実させるための秘訣ではないかと筆者は考えています。
 アドンとサムソンの反省会は、 そんな、よくよく考えてみれば当たり前のことを改めて教えてくれるものでした。掲載許可をくれた、それぞれの気がまったく合わない二人の友人に感謝しながら反省会の総括を終わります。

 あと、サムソンはもう少しKPの話聞こうな!

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