四畳半神話大系を見てました

最近、アニメの”四畳半神話大系”を見直してました。
四畳半神話大系は森見登美彦の同名の小説を原作とするアニメーション作品です。
森見さんの小説のほとんどに共通しますが、京都を舞台にして非常に独特な作風を組み込んだ不思議な作品です。

四畳半神話大系

今回は四畳半神話大系のアニメ最終話に出てきた「ある表現」をキーにして、物語やゲームの中の視点についての話をしていこうと思います。
ちなみに、今回のブログは四畳半神話大系のネタバレを含んでいます。
読むにあたってご注意ください。


四畳半神話大系ってどんな話

以下、作品の概要(アニメ版のHPの第1話から抜粋)

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大学三回生の「私」は、薔薇色のキャンパスライフを夢見ながらも無意義な2年間を過ごしてきた。入学した時に数あるサークルの中からテニスサークルを選ぶが、会話も出来ずに居場所を失くしていく。そこで同じ様な境遇の小津と出会い、サークル内外で人の恋路を邪魔をする「黒いキューピット」の悪名を轟かせることに。 小津と出会わなければ黒髪の乙女と薔薇色の人生を送っていたに違いない! もしあの時違うサークルを選んでいたならば……。

つまりどういうことだってばよ…?


三行でたのむ

  • 主人公は非リア
  • 大学入学から今日までの自身の選択に悩む
  • 時間が巻き戻り、別の選択を選んでいた世界が描かれるがそこでも非リア

アニメ版最終話の「ある表現」

今回取り上げるのは最終話のラストの1コマ。

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俺なりの愛だ

どういうシーンなのか

    前提として、以下のような状況が存在します。

    物語の終盤にループ空間に閉じ込められる主人公。
    自分以外誰もいない世界、その孤独につぶれかけていたときに悪友「小津」のことを思い出す。
    すべての平行世界で自身のリア充化を全力で邪魔してきた最悪の悪友が、自身にとって最高の友であったことに気づく。

    その後、ループから脱することに成功して小津と再会。
    小津はこれまでと打って変わって、自身に対して親切な主人公を見て薄気味悪さを示します
    「どうして、自分に優しいのか」と問う小津に対して、主人公は「俺なりの愛だ」と答えて物語は終わるのです。

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    この主人公の顔がどのような意味を持つのか、更にみていきましょう。

    小津という存在

    小津は主人公の悪友です。
    大学に入学してリア充を目指すはずだった主人公。
    小津は、すべての平行世界で主人公を非リアに落とす悪魔的な存在として描かれます。

    小津の姿は以下のような感じです。

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    物語の語り手である主人公からも、「妖怪」という表現を受ける出で立ちをしています。
    うーん、どこかでみたことがあるような…?

    小津にはもう1つバリエーションが存在します。
    それは、主人公がループ空間を脱出以降に描かれる姿です。
    そのときの小津の姿はこんな感じ。



    ん!? なんか色々違くないですか!?

    ご安心ください。どちらも正真正銘の小津です。

    なんで顔が全然違うの?

    結論からいうと、小津の姿が変わってしまった原因は「主人公の認識の変化」にあります。

    これまでの話にも出てきたように、主人公は小津のことを最悪の友人として認識していました。
    この認識は物語の終盤になって、一転します。

    小津こそが最高の悪友である。
    孤独なループ空間のなかで、主人公はそう考えるに至ったのです。
    そして、これらの主人公の認識は小津の姿を変える決定的な体験となるのです。

    四畳半神話大系の語り手(視点)は主人公。
    その主人公の認識(フィルター)が変わったことにより、小津の視え方が変わったのです。
    主人公の認識と出来事の混同は、作者の森見登美彦さんのインタビューでも触れられているので、興味のある人はどうぞ。リンクもここに貼っておきます
    ...僕の小説の書き方に近いのは「四畳半」だと思うんです。
    (中略)
    「四畳半」のほうは、主人公の心の中の出来事と実際に起こっている出来事が全部一緒くたに区別なく、アニメーションという表現で描かれているという感じがしていて。それは僕の小説で、主人公の思いも起こっている出来事も、文章によって全部ひと続きで一緒くたに語られてしまうこととよく似ていると思うんです。

    改めて主人公の顔を見てみよう

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    同じ記事に、同じ画像を3回も貼っていると心が荒んできそうです。
    あと、ちょっと殴りたい顔してますよね。

    「俺なりの愛だ」
    そう語る主人公の顔は、誰かに似ていますね。

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    小津Before!
    そうです妖怪として見ていた頃の小津にそっくりなんです。

    なぜ小津の顔をしているのか

    ここからが話が小難しくなってきます。
    また、ここから先はオタクの勇み足ともいえる理論展開が始まります。



    ご勘弁ください(´;ω;`)



    話を戻すと、考えられる主人公の顔の意図(があるとして)は以下の通り

    ①小津の真似をしているから(「僕なりの愛ですよ」は小津の決め台詞だった)
    ②主人公が自分自身への認識を変えた(自分が小津と同類であると認識したから)
    主人公以外の視点だったから

    (もしかしたら、まだあるかも。詳しい人がいたら、@1i2ro3haに教えてください)

    細かな理由付けは割愛しますが、僕はだったら面白い(≠正しい)なと考えています。

    「主人公以外の視点だった」とするなら



    こう考えた場合、主人公の顔は視点が移り変わった誰かの認識だったとつなげられます。

    素直に考えれば主人公を奇異の目で見た小津の視点だったと考えるべきでしょうか。
    しかし、例のシーンにはもうひとつ視点の持ち主が存在したのではないでしょうか。

    もしかして視聴者の視点でもあったのでは

    最後の主人公の顔をみていたのは、実は視聴者の視点だったのかもしれません。
    Dr.スランプ アラレちゃん 第57話 夢のみにちゅあわが家

    ループ空間(IFの様々な世界)の物語を見ることによって、
    読み手はすでに主人公よりもひとつ上の目線から物事をみれるようになっているわけです。

    主人公と読み手を同調させて、最後に切り離す

    ここまでの妄想考察をまとめると、四畳半神話大系の最終話では語り手(主人公)の視点から離される表現が隠されていたと読み取る余地があります。

    この手法は砕けた言い方をしてしまえば、
    「主人公(語り手)と読み手の意識を同調させておいて、最後にそこから切り離す」という手法です。

    この手法ってRPGでもつかえるんじゃね?

    RPGは簡単にいえば、プレイヤーに操作キャラを通して物語を体験させるゲームジャンルです。
    だとしたら、これってRPGでも似たようなことできますよね。
    実際、結構古いRPGでも、同じようなことをやっている作品は存在したりするわけで。

    しかし、待てよ…?
    RPGでできるなら、TRPGでも…!?

    思わせぶりなことを言って、今回の記事は終わりとします。
    乱文失礼しましたm( _ _ )m